ABOUT
千房とは
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社名の由来
「千房」という名は、かつて大阪で最大の権力を持っていて、大阪城を築いた豊臣秀吉の馬印に由来します。
その馬印には房になった瓢箪が用いられていました。豊臣秀吉は戦に勝つ度に瓢箪を増やしていき、いつしか千成瓢箪を呼ばれるようになりました。
大阪を中心に大きくなるにつれて、増えていく豊臣秀吉の千成瓢箪になぞらえ、大阪発祥のお好み焼を生業として大きくなり、一店舗一店舗、一人ひとりを大切にしながら、
「千」の「房」になるように願いをこめて「千房」という社名が誕生しました。
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千成瓢箪
千房のCMへの想い
懐かしのCMの制作秘話をご紹介します。
戦艦TECO 2017篇
こちらのCMは1982年にオンエアした初期のテレビCMを忠実に再現したリメイク版です。(2017年10⽉〜2018年3⽉オンエア)「宇宙船バージョン」篇の宇宙船・カメラアングル・⾳楽を忠実に再現し、初期のCMをご覧になったことのある⽅には、懐かしさを感じていただけるCMになっております。
創業者の中井は当時、集客の為にCMを放映したのではなく、従業員に対して⾃分たちがCMを放映できるほどの企業に勤めていると誇りを持ってもらうために放映しました。
また、お好み焼屋なのに、お好み焼が映っていないのは、「何のCM?」と視聴者の興味を醸成するためということと、中井⾃⾝が創業前お好み焼屋はカッコ悪くてやりたくなかった(洋⾷屋のコックを⽬指していた)ことに由来しています。
⾖知識
〜「戦艦TECO」はM78星雲のコナモン星からやってきた〜
お好み焼に⽋かせない道具のひとつである「テコ」。これが戦艦TECOのモチーフとなっております。⾒た⽬は戦艦にしか⾒えませんが、よく⾒てみると、テコを逆さにしたカタチになっております。
戦艦TECOは千房のお好み焼を地球で、そして、全宇宙で⾷べていただくために、M78星雲にある6,900万個の星の⼀つであるコナモン星からやってきました。
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千房の世界初
千房の世界初の挑戦や
取り組みをご紹介します
〜世界で初めて、お好み焼チェーン店が〜
1981.5
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百貨店に進出(旧西武八尾支店)
1981.10
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駅ビルに進出
(静岡パルシェ支店)
1985.10
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高級ホテルに進出
(ぷれじでんと
シェラトン都ホテル大阪店)
1992.1
チップ制を導入
(ぷれじでんと全店)
1997.9
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冷凍食品の製造・販売開始
2002.11
超巨大お好み焼完成
(直径8m、重さ1.6トン、
5000人分)
※上方お好み焼たこ焼協同組合で
※後にギネス認定
2009.7
就労支援(刑務所で求人、面接、採用)
2013.2
職親プロジェクトが誕生(日本財団の支援)
2013.9
機内食に採用(Peach Aviation)
2016.12
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小麦粉(お好み焼)国産化
2018.8
初の海外直営店
高雄漢神アリーナ店オープン
2018.12
45周年
中井会長就任
中井社長就任
2019.1
CHIBO Diversity道頓堀ビル店
~Muslim Friendly~オープン
千房の取り組み
社名の由来もあり、
千房では「人と人との繋がりが企業の発展の
基本である」という考えのもと、
「人のため」にさまざまな取り組みを
行ってきました。
あけみちゃん募金
先天性の心臓病などを患う
子供たちを救うための取り組み
メッセージを読む
あけみちゃん募金
先天性の心臓病などを患う
子供たちを救うための取り組み
メッセージを読む
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1973年、千日前にて千房を開業しましたが、最初は思うようにお客様が来ませんでした。そこで吉本興業の芸人さんに手品をする人がいて、手品を教えてもらいお客様に披露するようにしたところ、日商が7万円ぐらいになりましたが、喜んだのも束の間、手品のネタがすぐに切れてしまったのです。
営業が終わった後、朝方までスタッフとミーティングをしました。当時の千房のテーマはリピーターづくりでした。
中井社長は社員たちに問いかけます。
「どうしたら、もう一回来てくれるんやろか。みんなええアイデアないか?」
社員たちは答えました。
「社長、忘れもんしはったらもう1回来ますよ。」
「社長、バック隠しとったら、取りに来はるんちゃいますか?」
色んなアイデアが飛び交いました。
「バック隠したら犯罪や。でもこれは大きなヒントや。そうや!絵馬や!!」
中井社長は社員のアイデアを元に絵馬を考え付きました。絵馬を作っている京都のお店を紹介してもらって導入したところ、たまたま受験シーズンで幸運が重なり、日商10万円を記録しました。しかし絵馬代は無料、利益が残らないので、作ってもらった絵馬がなくなるとそれでやめました。すると、お金を払ってでもという声が上がるようになりました。「社長、200円でもええちゅうお客さんがいてはります。」
「そうか、それなら…」と絵馬を再開しました。ただ、「うちは神社やない。だから絵馬で儲けたら商売の道理に外れる。」そう言って、絵馬代は募金しました。
その募金先は『あけみちゃん基金』という、先天性心臓病などに苦しみながら経済的な事情で手術を受けることが出来ない子供たちを救うために産経新聞社が提唱して設立された基金でした。活動資金はすべて読者を中心とする一般の人達からの寄託金でまかなわれ、40年以上にわたり、100人を超える幼い命を救ってきたそうです。
中井社長は、絵馬代を募金して産経新聞に大きく取り上げられ大きな反響を呼びました。そして、ちなみにこれは千房がメディアに取り上げられた第1号となり、産経新聞社とは今でもお付き合いが続いています。
職親プロジェクト
社会復帰に向けて
自立更生を推進する取り組み
メッセージを読む
職親プロジェクト
社会復帰に向けて
自立更生を推進する取り組み
メッセージを読む
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当社では、その中でも就労、更生意欲があるものの、身元引受人がおらず、帰る家もなく自立が難しい方を受け入れるという考えの下に進めています。
職親プロジェクトの前身となる出所者たちの雇用のきっかけは、法務省からあった受刑者就労支援の依頼でした。社内からは「うちは人気商売。お客様が怖がって店に来なくなる」という反対意見も出ました。中井社長は悩みに悩みましたが、自身を「7人兄弟は成績が優秀だが、私は落ちこぼれやった」と振り返り、こんな確信を持ちました。「人間には無限の可能性がある!」「いろんな人に目をかけてもらって今がある」という思いが強く、出所者たちの採用は企業として善悪を考えれば「善」。社会に役立つ人間になってもらうことも償いの一つ。再犯率を下げる社会貢献の意味でもぜひやりたいと思うようになり、世を納め、民を救う「経世済民」と、企業はお金儲けだけではないという強い信念が決断に踏み切りました。
2008年12月、中井社長自ら前代未聞の刑務所内での面接のため、美祢社会復帰促進センター(PFI刑務所)へ出向かれました。その後、内定を出した2名が仮出所し、千房で受け入れたことがマスコミに大きく取り上げられ、記事を読んだ日本財団から支援するので積極的に採用して欲しいと強く要望されました。中井社長が親しくしている企業に声をかけ、2013年2月に大阪で就労支援団体「職親プロジェクト」が日本財団と7社の手によって設立されました。親のような愛情をもって生き直しをさせる世界初の取り組みとしてマスコミが大きく報道したことにより、支援の輪は東京に拡がり、福岡や和歌山、神奈川そして新潟にもプロジェクトが誕生しました。現在では国の奨励金制度も始まり、既に約60社が参画しています。
中井社長は「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。反省は一人でもできるが更生はひとりではできない。皆の協力が必要だ。」と常々おっしゃっています。